チュニジアとイスラーム備忘録

 先日、1週間ほどチュニジアに滞在した。首都チュニスからスース(旧市街が世界遺産)へ、スースからドゥーズのサハラ砂漠へ、そこからマトマタ(スターウォーズのロケ地として有名)を経由してジェルバ島(ユダヤ人とイバード派が居住していた)へと向かった。途中アグラブ朝首都であったケロアンに滞在するつもりだったが、ケロアン行きの夜行バスが運行していなかったために諦めざるを得なかったことが心残りだ。

 主にイスラームに関連したものについて、備忘録を残しておきたい。

 

 事前に幾つかチュニジアスーフィズムについての動画を見たが、以下のものが参考になった。聖者廟やザーウィヤ(修行場)に注目しながらの街歩きができるだろう。イブン・アラビーがチュニジアを訪れたというのも興味深い話。

The Way of the Saints: Tunisia's Sufi Tradition - YouTube

 以下の動画はチュニジア音楽療法スタンベリ」の儀式について。スタンベリという言葉は音楽ジャンルも指すという。滞在中関連するものを見つけることは叶わなかったが、参考までに。

Stambeli, dernière danse des esprits I Pèlerinage (1/3) - YouTube

 

 チュニスでまず気になったのは、角塔のミナレットだ。チュニジアをはじめとした北アフリカでは、初期イスラーム時代に普及したこの様式が現在も使用されている。

 また、チュニスといえばイブン・ハルドゥーン出生の地。旧市街の入り口には像が立っている。彼の生家とされる場所には案内が書かれていた。

 チュニスにごく近い町で、シディ・ブ・サイド( سيدي بو سعيد )というところがある。この名は、Abu Said al-Bajiという12-13世紀に生きたワリーに由来する。廟があったそうだが、2013年にサラフィストに破壊されてしまったらしい(現在どうなっているのかは確かめられなかった)。Abu Said al-Bajiは、モロッコ出身でシャーズィリー教団の創立者であるAbu al-Hasan al-Shadhiliの師のうちの一人であると伝えられている。

 このシディ・ブ・サイド、ボーヴォワールフーコーが訪れたことで有名で、その景観の良さから観光客の絶えない場所だ。町の中心には海を望む有名なカフェがあり、ちょうど同じ建物の下の階には、ザーウィヤと呼ばれるスーフィーの修行場がある。

 カフェへと続く入り口は、修行者のためのザーウィヤへの入り口であった。また、このカフェは修行(ハドラ)後のスーフィーらの集いに使用され、彼らはコーヒーを嗜んだという。

  カフェの入り口とは別の場所には小さな扉があり、側には زاوية سيدي عزيزي(ザーウィヤ・シディ・アズィーズィ)と書かれている。

 またチュニスには、先ほど言及したシャーズィリー教団の創立者Abu al-Hasan al-Shadhiliが開いたザーウィヤに由来する廟が残っており、今でもハドラが行われている。この場所の名前はBelhassan(Abu al-Hasanを指す)で、写真の丘の上に聳える建物が廟となる。彼はこの丘の洞窟で修行を行っていたという。

 こうした様式の廟は、tourbaやturbeh(トルコ語:türbe)と呼ばれる。その名が示す通り、チュニジアではオスマン朝に併合されていた時期(1574-1705)に建てられ始めた。それまでは町の城壁付近に埋めるのが通例だったらしい。

 オスマン朝から独立したフサイン朝で、廟は独自の発展を迎えた。チュニスの旧市街にはTourbet el Beyという廟があり、そこではオスマン朝との廟の違いを楽しむことができる。例えば先ほどのBelhassanでもそうであったように、光沢を持つ緑色のタイルで覆われたドームはオスマン朝と大きく異なる点だ。また、オスマン朝の廟は通常八角形であるが、こちらは四角い部屋を持つ。

 ドームの装飾も趣深い。

 よく見ると模様の一つ一つが全て掘られている。怖い

 そして何より、タイル装飾がオスマン朝のものとは全く異なる。オスマン朝のタイルは基本的に青、そして差し色として赤が使用されるが、チュニジアでは黄色と緑が目立つ。模様の種類が異なる。そして何より、(僅かながら)生き物が描かれている!

 こちらはタイルではないものの、またもや鳥の姿が。

 話は尽きないので、最後にジェルバ島について触れて終わりとしたい。ジェルバ島には古くからユダヤ人が暮らしており、現在もチュニジア最大のユダヤ人コミュニティが存在する。最古と言われるシナゴーグを訪れるため、Er Riadhという地区には多くのユダヤ教徒が押し寄せていた。

 また、島にはイバード派のコミュニティも存続し、イバード派によって建てられたと言われる幾つかのモスクは訪問可能だ。ジェルバ島やオマーンアルジェリアのムザブ、リビアのナフサなどに住まうイバード派は、そのモスクの建築に共通した独特の様式を持つという。これら四箇所の建築を調査したBenkariの論文*1によると、例外はあるものの基本的には以下のような特徴がある。

・質素、最低限の装飾:イバード派は、清教徒的で改革を拒否する傾向にある。こうした思想的背景によるものだという見解が多数。

ミナレット無し(軍事的に必要となる場合は除く):イバード派の法学書によると、ミナレットはモスクを構成する本質的な要素だと見做されていない。理由がない限り作られることが許されていなかった。

・人体の大きさに沿ったプロポーション:「神は人を最高の形でお造りになった」という思想を反映したものだと言う者もいるが、イバード派のモスク以外にもマグリブの建築には共通して見られる特徴である。そのため、ベルベル人によって地元の材料を使って建築されたためであるとも言われている。

・断片化しているモスクの空間。野外礼拝室として機能する中庭。

・複数個のミフラーブ:キブラ壁の破壊が禁止されているため、増築や改築に伴ってミフラーブが増加する場合がある。

・ミンバル無し(コミュニティの状況による):イマームが選出されないコミュニティにはミンバルがない。

 

 女性は女性用の礼拝室しか入ることができないため、内部を撮影することはできなかった。それでも、いくつかの特徴は把握することができるだろう。

 ジェルバ島には、軍事的理由ゆえに例外的にミナレットが設けられているモスクが存在する。

 ジェルバ島の中心地であるフーム・スークに近いモスク。確かにチュニジアの他のモスクと比べると「断片的」と言えるプランとなっている。

 こちらは野外礼拝所として開放されている中庭。